はじめに
どうも、yuzzyです。
今回はタイトルにもある通り少し小中学生時代をを振り返ってみたいと思います。
フィンランドに単独企業訪問や、カンボジアにインターンシップをしに行ったりとかなり思い切った決断、行動をしているのですが私は最初からこうだったわけではありません。
小さい頃から内向的且つなにもしなくていいなら何もしたくないと言うような超消極的な人間でした(笑)
わざわざ日本より治安が悪くて怖いイメージのある海外に行く理由も理解できなかったし、できれば一生日本でぬくぬく生活したいと思っていました。
そんな私がなぜ決断や行動を重ねて最終的に留学を決めるまで変わったのか?
それには両親の働き方、考えがかなり深く関わっていると思っています。
今回はそんなyuzukky家の生活、考え、行動をご紹介します。
季節によって住む場所を変えていく〜家族ノマド〜
yuzukky家は家族ノマドをしていました(現在は休止中)。
家族ノマド、、、?何それ?
それもそのはず、家族ノマドは父が作った造語です。
ノマドとは英語で『遊牧民』を意味し、デジタル機器をなど使い自由な場所で仕事をすることです。
それを家族単位でやるから家族ノマド。
暑い夏は涼しい北海道やフィンランドに。
寒い冬は暖かい沖縄に。
などなど。
ノマドの本来の意味の通り、遊んだり休息をとることがメインの目的ではなく、あくまで仕事をする場所を変えているということです。
もちろんせっかく色々な場所に行くので観光なども楽しみます(笑)
両親は仕事。ならyuzukkyは?遊んでんの?
いえ。私は毎回家族ノマドをする度に過酷な試練が与えられるんです(笑)
その例をいくつか紹介していきます。
試練① 外国人の友だちをつくるin ハワイ
小学3年生のGWごろにハワイに2週間ほど家族ノマドをしに行きました。
学校も少し休みました(笑)
そのころ私がやらなければいけないことと言ったら学校の宿題くらい。
そこで父からある提案と言う名の試練が与えられました。
それは『滞在中の目標をきめろ』というもの。
正直どういうことを考えて思いついたかあまり覚えていないのですが
『1週間以内に外国人と友だちになる』
という今考えたらかなりハードルの高い目標を立てました。
もちろん英語も全く喋れませんでした。
結果からお伝えすると、まさかの滞在二日目にて達成!
滞在していたコンドミニアムの中庭で遊んでいたカナダ人の子に声をかけ、友達になることができたのです。
知らない子、しかも言語が違う相手に対して自ら仲良くなりに行くのはとても勇気がいります。
当時の私をほめてあげたいです(笑)
その後、滞在中何度も一緒に遊びどんどん打ち解けていきました。
家族も紹介しあって本当に楽しい時間になりました。
私自身、その子の言っていることが殆どわからなかったのですが、ジェスチャー等で意思疎通がある程度できることに嬉しさを感じ、自ら積極的にお店などでもやり取りをするようになりました。
試練②2週間だけ転校in ニセコ
同じく3年生の夏休みに北海道ニセコへ。
2週間だけ現地の小学校に転入しました(笑)
北海道は冬に大雪が降り学校に通うのが大変なので冬休みが長く、夏休みが短いみたいで大阪(当時)の小学校と休みの期間がずれていたため通うことができました。
超少人数で同学年はなんと1人!
1つ上の学年と合同で私を含め5人の学級でした。
2週間ほどの短い期間でしたがとても仲良くなることができ、最後のお別れ会では号泣してしまいました(笑)
初めての転校(?)でとても不安でしたがみんな親切にしてくれてとても楽しい思い出になりました。
試練③Wスクールin オーストラリア
中学受験のため、家族ノマド休止期間をはさみ中1に。
オーストラリアではテニススクールと語学学校に行きました。
中学からテニスを始めたので超下手なのにテニス留学。
向こうのテニススクールでも良くない意味で一人だけレベルが違いました(笑)
午前はテニス、午後は英語学習という生活を2週間しました。
テニススクールから語学学校まで電車で1時間程かかり、かなりハードでした。
しかし、語学学校は大人ばかりで私が飛び抜けて最年少だったのでみんなやさしく接してくれて居心地は最高でした(笑)
英語力はあまり伸びた記憶はありませんが、テニスが行く前と比べ格段にうまくなりました。
中学での部活も一番下のレベルから一番上のレベルのクラスへ。
また、その後もテニスを続け中学3年生では部長になるまでに上達しました。
テニスが大好きになったのはこの経験のおかげです。
試練④ポケモンGOで現地の人と交流in フィンランド
同じく中1の夏休みに1ヶ月ほどフィンランドに行きました。
滞在中にちょうどポケモンGOがリリースされフィンランドでも沢山の人がプレイしていました。
ゲーム好きの私ももちろん夢中になったのですが、その時自分の端末を持っておらず父のスマホを使っていました。
そこで父からこんな試練が。
『俺の携帯を使いたいんだったらポケモンGOで1日1回交流しろ』
ポケモンGOをプレイしたいからやるしかありません(笑)
最初は子供をターゲットにして話しかけていたのですが少し向こうも警戒してあまり会話が盛り上がりません。
そこで私なりに対策を練ってターゲットを変えました。
そのターゲットはカップルの男性。
彼女が横にいるので優しく優しく接してくれると思ったのです。
結果は大成功。
それ以降はカップルばかりを狙いました(笑)
1週間ほど続けるとだんだんなれてきて、最後の方には地元の同年代くらいの子とも楽しく話せるようになりました。
*その次の年に友達と二人で企業訪問にも訪れました。
試練⑤公立中学に通学in ニュージーランド
私的にはこれが一番過酷だったと思っています(笑)
これも中1で、ニュージーランドで日本人0の地元の公立中学に3週間放り込まれました。
中学になり、英語を習い始めたとはいえ触る程度。
ほとんど英語で会話した経験もありません。
そんな中、普通の現地中学校に通ったのです。
授業もよくわからないし、みんなが一斉に行動していてもなにをしているのかわからないし。
そんな大変な毎日で途中かなりつらかったです。
でも、友達は沢山でき最後の方にはしっかりカタコトでも意思疎通ができるようになりました。
色々な価値観に初めて自分自身が触れることのできたとても良い経験でした。
正直な話、一番鍛えられたのはメンタルです。
英語もできない人が何しに来たの?、なんで一人だけ毎日スーツできてるの?とかって思われてるかもしれないとか、全校集会で名前呼ばれて前立ったりとか(笑)
*現地の学校の制服はシャツ、短パン、サンダルといったかなりラフなものだったので私が日本の学校で着ている制服はかなり目立っていました。
でもわかったことはそんなに気にされてないってことです。
日本の学校に留学生が来たと考えてみればわかりやすいですよね。
最初は何しに来たの?とか思うかもしれないですが2日3日たてばもうあんまり気にしない。
逆に日本語など日本のことを教えてあげようと親切な気持ちにもなります。
そういうことに気づけて、普段と違う環境でも少し適応できるようになったという点でも大きな成果でした。
*この時は大変さの方が上回り、高校で留学したいと全く思いませんでした。
試練の先に
これらの試練は両親から与えられたもので自ら行動しているものはほぼありません。
しかし、もともと超消極的だった私が自分で大きな決断をできるようになったのは
これらの試練のおかげだと思っています。
最初から行動、決断するのは難しい。
でも段階を踏んでいけば徐々に強くなっていきます。
決断や行動する機会を存分に与えてくれた両親に心から感謝です。
これからは培ってきた行動力、決断力でどんどん新しいことにチャレンジしていきます!
これからもよろしくおねがいします!